東京大学理学部化学東館。文京区本郷7-3。1989(平成元)年10月15日
戦前の東大の建物と言えば、内田祥三(よしかず)による内田ゴシックと言われる建物がほとんどといっていい。レンガ造に見える化学東館は、内田が1923(大正12)年に営繕課長に就任する前の前任者、山口孝吉による一時代前の建物である。
『日本近代建築総覧』では「東京大学化学教室、本郷7、建築年=1916(大正5)年、構造=RC、設計=山口孝吉(東京大学営繕課長)、施工=竹田源次郎、構造設計柴田畦作」。竹田源次郎はたぶん竹田組(現・平塚竹田組)のことかと思う。柴田畦作(けいさく)は『歴史が眠る多磨霊園>柴田畦作』というサイトに略歴が記されていた。岡山県出身。1896(M29)東京帝国大学工科大学卒。後に東京帝国大学工科大学教授となる。わが国において初めて鉄筋建築を研究した人で、応用力学および構造学に造詣が深く、本格的鉄筋コンクリート建築の祖として知られた。京都の七条大橋(大正2年完成、鉄筋コンクリートアーチ橋)は柴田が構造設計を、設計を山口孝吉が担当した。
『東京大学理学部>化学東館竣工100周年』によると、東大の建物の中で鉄筋コンクリートを採用した最初の建物。池田菊苗の基本構想をもとに、山口孝吉によって設計された地上2階、地下1階の建物。池田菊苗は当時の理学博士・帝大教授。グルタミン酸ナトリウム(味の素)を発見した人。
2012(平成24)年4月28日
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